着物と暮らした半生から 〜吉井恭子の書籍発売に寄せて
「丁子屋は、紬など日常の着物を得意としています」とお伝えすると、「日常の着物って何ですか?」というご質問をいただくことがあります。「紬」は常用漢字ながら、漢字検定準一級レベルの単語となってしまいました。日常会話で出ないのですから、「つむぎ」と読めないことも当然かもしれません。いつの頃からか、着物は晴れの日の衣装というイメージが定着してしまいました。七五三、成人式、卒業式、結婚式。ほとんどの日本人にとって、着物は日常と全く無関係な衣服となってしまったのです。ですから「日常の着物」と言ってピンとこないのは仕方がないことのように思います。
小津安二郎の映画「早春」(1956年)では、サラリーマンがスーツで出勤し、寝るときは浴衣という夫婦の日常が描かれています。戦後、洋モノへの追い風が吹いたものの、自宅においては、まだまだ和風だったようです。今は「浴衣って旅館で着るものでしょ」とおっしゃる殿方や、「夏に浴衣くらいは着たいけれども、着物は面倒」というご意見も頂戴します。時代は変化しました。確かに、着物より洋服の方が機能的で実用的。着物の多くは高級素材の正絹(シルク)で出来ています。糸を作るところから、染め、織りの工程を人の手によって何ヶ月もかかって仕上げる工芸品のような性格を帯びたものしか生き残れないような時代になってしまいましたので、必然的に値もはります。
そんな時代変化の中でも、丁子屋の五代目女将は、庶民の日常着としての着物文化を守り続けてきました。近江商人の「三方よし」の精神を受け継ぎ、呉服を商いとしながら、競合他社が廃業し続ける現在も、毎日を着物で過ごしています。そうして着物が背負っている伝統と文化、そして日本人の知恵を伝える努力を惜しまずにきました。他社に先駆けて和のお稽古や着付け教室も始めて30年が経過。これまでに排出した着付け教室の生徒は1,412人。多くの生徒が「日常の着物」を愛し、趣味として着ています。駅伝のように続けることによって、前の人から受けたバトンを次の人につないで、今に至ります。
着物生活というのは、意外にも機能的な面があります。スマホやハンカチを帯と腹の間に仕舞ったり、小さなお財布であれば袖に入れたりすることができます。袖が小さなバッグの役割をしてしまうからです。何より、洗う頻度が少ないので、洗濯物が少なくて済みます。着物は、アナログのようですが、現代においても機能性を発揮してくれます。着物を毎日着て初めてわかる「知恵と工夫」が詰まった今回の書籍「着物の心をつなぐ」。洋服は自由で、着物は不自由。そんな思い込みを持っている方も、ちょっと着てみようかな? と思える気軽な一冊です。通の方にも共感していただけるでしょうし、これから着物を着てみたい方や、もっと自分らしく着こなしたい方へのヒントが詰まっています。東京流の嫌味のない着こなし方、外しの感覚なども満載。心地よさと、相手への敬意を追求した、女将と着物の物語。それは、いい加減が良い加減。このエッセイは、吉井恭子その人の半生と共に、和の心を受け継ぐためのバトンです。